blogトップ 蔵 ホムペ 広島の大地より お酢やの便り:2007年10月20日
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2007年10月20日

第二章 父の背で学ぶ その2



父に学ぶ その2

創業してしばらく経つと、販路はかなり拡大した。

大地の米酢が評判になり,求める層が、広がりをみせてきたのだ。

「私のとこにも、あんたの酢を入れてえや」

父は快く引き受けた。


そうすると、製造の後、お得意様に届ける作業も増えてきた。

足回りをよくしなければならない。

ある日、わが家に真新しいバタンコが導入された。

足でキックしてスターターを始動させ、オートバイに跨った要領で
運転してゆく、ご年配には懐かしい代物である。

エンジン音がけたたましく、バタバタと音を発するところから
いつしかバタンコと命名されたものだが、当時としては
画期的な商売の足であった。


このバタンコを、駆って配達に出向く先は、加計、戸河内、安佐町などの農家。

配達先に着くとバタンコから約40キロの4斗樽を父は担いで届けていた。

同行した私はまだ幼く、到底この重さを抱えることはできない。

肩にめり込むほどの重さの樽を担いで歩く父の後ろ姿を
心を傷めながら見送っていた。

配達といえば、もっと遠方にもよく出掛けた。

沼田町伴からは2時間以上かけて山口方面にも出掛けていた。
これら遠方に行く時の楽しみは昼食であった。

母がこしらえた弁当を適当な時間と場所を見つけて開くのだが
すきっ腹には例えようもなく美味で、あれほど美味しい弁当には
もう出会えないだろう。


こういった配達時の合間や屋外での食事時に、寡黙な父が時折り口を開いた。

喋りぶりは訥々として、父らしい語り口であった。




こうして聞いた話で最も記憶しているのが二つある。


一つは、センナリという社名の由来

もう一つは、アメリカ渡航時代の苦労である。

センナリの社名は、天下人、太閤秀吉に基づく。

織田信長の家来として日吉丸、木下藤吉郎など出世の階段を上
がる度、改名していった秀吉が終生シンボルとして掲げたものが
千成瓢箪であった。

いずれ、天下を取って全国津々浦々、戦いのない平穏な社会を実現する。

物心ついて以来、絶えず戦乱の渦中にあった秀吉の側にはいつも千成瓢箪がさ
がっていた。

やがて天下人となった秀吉の生き方に共鳴していた父は、1927(昭和2)年に
酢の専業メーカーを創業する際、千成瓢箪から「センナリ」を社名として
用いることを思いついた。

社名の由来はここにあるわけだ。

合わせて千成瓢箪は今日まで会社のシンボルとして用いられている。

秀吉は国を一つに統一する天下一を標榜したが、「センナリ」は味で天下一を狙いたい。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e7664.html
  


Posted by センナリ株式会社 at 16:10Comments(0)『米の酢』物語