blogトップ 蔵 ホムペ 広島の大地より お酢やの便り:2007年11月02日
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2007年11月02日

第三章 ラグビーが教えてくれたこと その2

第3章 ラグビーが教えてくれたこと その2




ところが、私の強い思いを家庭の実情がゆるさなかった。

ちょうどその頃、幹部が会社をやめ、経営に苦慮した。

父は私に「大学に行かず、家業を継いでくれ」と頼んだ。

ラグビーを続けたい、しかし父を助けられるのは私しかいない・・・
悩んだ揚げ句、家業を選んだ。


当時の無念さを簡単には片づけられない。
断腸の思いで進学を諦めた私の気持ちは、今の恵まれた子どもたちにも
理解しがたいことかも知れない。

しかし、その後もずっとラグビーと私の縁は切れていない。

折に触れて後進の指導に携わってきたし、私自身、機会を見つけては
グランドに立ってもきた。

広島大学の医学部、教育学部の学生、さらには東洋工業(現マツダ)や
淀川製鋼まで、多くの後進たちにラグビーを教えてきた。

若い頃のような勢いはないが、彼らと付き合っていると、気持ちだけ
は当時とちっとも変わらない。

ジャージにストッキングにスパイク、ユニホームを身に纏うと体がしゃんとし
血がたぎってくる。年代的にも年寄りの冷水と言われそうだが、これからも
ずっとラグビーとは関わって生きていきたい。

話しは逸れるが、見ての通り、私は現在もがっちりとした体格である。

実は、ラグビーで作ったこの体を活かして柔道にも少し触れたことがある。
教わった先は、オリンピックの金メダリストの川口選手を排出した有名な
川口道場(広島市安佐南区)。

通った期間は僅かだったが、2段をいただいた。

これもラグビーの恩恵であろうか。この先、どれだけラグビーを続けていけるか
分らない。体の続く限り、グランドに立てる限り、誰かがオフサイドのホイッスルを
鳴らさない限り続けていくつもりである。

ラグビーは私の青春そのものである。ジャージを着た瞬間、私の心は十代の高校時代に
舞い戻るのだ。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e7669.html

  


Posted by センナリ株式会社 at 17:28Comments(0)『米の酢』物語