blogトップ 蔵 ホムペ 広島の大地より お酢やの便り:2007年11月
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センナリ株式会社
センナリ株式会社

2007年11月15日

エピローグ その2

エピローグ その2  





そもそも、センナリの創業精神は「こだわり」にあったといっていい。

いかにしてお客に喜ばれる商品を送りだすか、父至がそうであったし
あくことなく清潔を心掛けた母の姿勢も同じであろう。


その創業精神を目の当りにした私が存分に肌で学んで広島を開拓。

私の後ろ姿を見てきた息子たちは、同じ精神で全国展開を行った。

次は孫たちが世界を開拓する番だ。





商品にこだわり、あくことなき追求の姿勢を崩さない大地の理念を
これから弟英世副社長、息子たち、そして優秀な社員にバトンを
渡していきたいと思う。


今の私の楽しみは、社員とともにセンナリの将来を考えることと
4代目の育成である。

小学3年と6年になる孫には、いつも言ってきかせている。

「いいか、お前たちが次は社長と専務になるんだよ」
すると二人は、にっこり笑ってこう答える。

「分ってるよ。だから工場に手伝いに来るんじゃないか」
私の次なるもくろみも着々と成果を挙げつつあるようだ。

これでほぼ「大地の米酢の物語」を、簡単ではあるが語り終えた気がする。

今後もわが社センナリをこれまで同様に長く、いや今以上に可愛がって
いただくには、商品の背景に込められている創業精神、企業精神などを
知っていただくことも価値あることと今回まとめさせていただいた。


最後まで読んでいただき、心よりの感謝を述べたい。

これまで、社員とお客様、そして妻・静子、さらには息子たち夫婦に支えられ
一歩づつ歩んできた。

これから私は、社員、そして息子、孫たちを見守りながら進んでいきたいと思う。

残したいのはお金ではなく人材。

売りたいものは信用。

私の挑戦はまだまだ続いている。




最後まで、ご購読ありがとうございました。  


Posted by センナリ株式会社 at 05:29Comments(1)『米の酢』物語

2007年11月14日

エピローグ その1

エピローグ その1 

 




次代へのMESSAGE

未来へのバトン


来年、わが社センナリは、創業八十周年を迎える。


また私が社長に就任して五十年、私にとっても会社にとっても実に
大きな節目である。

これを機に、私は会社経営の実質的なバトンを息子たちに譲るつもりでいる。


こういう気持ちになったのも理由がある。

それはセンナリの代表者・大地克伸として。

それともう一つは私人・大地克伸としてのおもいである。


会社の立場の人間としては、終始一貫してきた。


素晴らしい企業にしたい、消費者に喜ばれる物を造り続けていきたい。
中でも原材料、素材のすべてを国産にこだわり、本物にこだわっていくことである。


この考えは多くの経営者に共通する思いだが、本物指向、より高い味を指向する
センナリの思想を崩さない限り、消費者には広く長く受け入れられていくことだろう。



一方、私人としての思いはこうだ。

簡単に言えば、人を絶えず大切にする丸い人間になりたいーこんなことを
常日頃考え、出来うる限り実戦しているつもりだ。

こういった両方の思いが相まってセンナリの企業姿勢というものが育まれてきた。

ここからは、十分に理解し実戦できる人間にバトンを渡すべきだと思う。


幸いにして、私の二人の息子(専務克史・中央大学商学部卒/常務克也・
東京農大醸造学部卒)は、長く私の後ろ姿を見て育ったせいか
私の考え方というものを理解し、また、日頃の行動や言質においても過不足なく
育っているように思える。



言うまでもなく、経営を行っていくにはさまざまな能力が要求される。


対外的な面で言えば、商品の信用力、販売の一線に立つ人間の応用力、人間性。
内部にあっては会計、総務全般はもとより一緒に働く仲間、部下、社員たちからの信頼。
加えて将来を見通す先見性や判断力。

数えあげれば枚挙にいとまがないが、これらの必須を徐々にではあるが身につけ
実戦できるようになったのが息子たちではなかろうか。


これは決して親の欲目ばかりではない。
小さい頃から、父親である私の姿をしっかり見て育ってきただけに、センナリの理念を
しっかり身につけている。


事業を継承させていく最も大きな節目だけに、私なりの冷静な観察眼で見てきたつもりだ。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8030.html
  


Posted by センナリ株式会社 at 07:06Comments(1)『米の酢』物語

2007年11月13日

第六章 大地流の挑戦  その2

第六章 大地流の挑戦  その2 




小さな風穴は次第に空洞を大きくしていく。


空洞を一端流れ始めた風は、日を追うごとに勢いを増していく。

実際、それからしばらく後、センナリの商品の優秀さを耳にした高島屋や伊勢丹、
三越などが、商品購入を決定することを申し出ている。


こちらが得意先を選び、価格を決めて商品を提供する。


圧倒的なユーザーの支持を持つルイヴィトンの気持ちが分ったような気がする。

広島からスタートしたセンナリは、一足飛びに念願道りの東京で開花。未来の明るい
光が見え始めていた。


次男克也常務の提案で始まったインターネットの販売も、着々とその実績を伸ばしている。


今では、アメリカ、カナダ、中国、台湾、韓国、香港、イギリス、オーストラリア、シンガポール、
フランスから注文が入ってくる。克也常務の嫁・弘子もその管理に一生懸命手を貸してくれ
ている。


やはり本物は、どんな場所でも受け入れられる。


改めて父至の信念がよみがえる。


父から私そして息子たちへ、お客様にお届けするスタイルは変わっても、製法に
こだわり素材を重視し、健康を追求する理念は変わらないことを感じ、うれしくなる。


もちろん、社員たちもセンナリの理念は浸透している。


時代ニーズにあった健康を贈れる商品、しかもよそが造らないものは何か。
日々共に話し合う。そこから新商品が誕生することもあるのだ。


素材へのこだわり度も加速的にアップ中だ。


今では生産者と直接交流し、生産者が自信を持って提供してくれる物しか使わない。


互いに顔を合わせ、腹を割って話しをする。


だからこそ信頼関係が生まれると私は信じているのだ。


昨今、地方の特産品を大地の美味しい米酢で懐かしい味に仕上げてほしいとの依頼もある。


そういう時は、私が直接現地に出掛け、農協などにお願いし、そこで加工してもらうシステムを
整える。もちろん製法も伝授する。


頼りは私のこの舌。


少しでも納得できない味は認めない。

納得できるまでチャレンジしてもらう。


こうして生まれたのが旬に採れた食品の加工商品、「砂丘らっきょ漬」や
熊本の「しょうが漬」などだ。


その他、梅干や、ゆず大根、わさび三杯漬やれんこん漬などヒット商品は数多い。


味と素材へのこだわり、息子たちの販売作戦、社員たちの熱い思い。


すべてが大地流の根幹を成す大切な要素である。

こだわりのラインナップ

1927(昭和2)年2月10日に設立してこれまで、たゆまぬ努力と
信念の下に生まれ、育ったセンナリの商品たち。

1996(平成8)年夏、社屋と工場を安佐町久地に新築・移転し、その
生産・品質管理のグレードはさらにアップしている。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8029.html



  


Posted by センナリ株式会社 at 06:08Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月12日

第六章 大地流の挑戦  その1 

第六章 大地流の挑戦  その1 





友人のヒントから、ピンチをチャンスへと転換。

本物の味と品質を求めるお客様へ、創業以来こだわり抜いた商品を
届けるべく、大地流の挑戦が始まった。


良い商品を求めているお客様へ、センナリの商品を知ってもらうためには
どうすればいいのか、これが命題である。

この時に、東京の同業者で修行し、センナリに戻った長男克史(専務)が言った。


「父さん、首都圏で売ろう」

今度は、生産部門を受け持っている次男の克也(常務)が言った。


「ウチの商品なら、世界の人にも通じる。インターネット販売や通販も取り入れようよ」


いつの間にか、2人の息子は大きな戦力として成長していた。若い彼らの行動力や考えには
目を見張るものがあった。


克史専務はすぐに、センナリの商品がいかに他と違って優れているか、現代の
本物志向にマッチしているかを企画にまとめ、高品質の商品を日本で最も古くから
販売している東京(北青山)の紀ノ国屋に売り込みをかけた。


センナリの商品品質もさることながら克史専務の情熱も功を奏したのだろう。


すぐに紀ノ国屋との契約をとりつけた。


彼らの動きは、これで留まらない。

克史専務の嫁・千穂は自ら紀ノ国屋の店頭に立ってマネキン役を買って出た。

わが妻・静子といい、大地の家は家業に尽くしてくれる女性たちに本当に
恵まれていると感謝しきりだ。


「お客様、これはセンナリの有機の米の酢です。よろしかったら、ぜひお試しください。」


通りゆく不特定のお客に向かって彼女は懸命に呼びかけた。

「センナリ、聞いたことがないわね」

そんな表情を覗かせながら、多くの客は通りすぎていく。
「どうぞ、一口、召し上がってみてください」

彼女は必死にに呼びかける。彼女の思いが失せることはない。
「そちらのお客様、どうぞ、一口いかがです」
「そうねえ」

彼女の熱意が伝わって、一人の客が立ち止まる。

勧められるまま、センナリの米酢を口にする。
「あら、ホント、とても美味しいわ。」

もともと味にかけては絶対的に自身のあるセンナリの有機米酢である。
試飲したお客の反応が悪かろうはずがない。
「このお酢、センナリっていうの?」

「そうでございます。有機の米の酢、お味がよくて、体にもとても良いお酢なんです」

「一つ、いただくわ」
(うちの商品は口にして貰えば分ってもらえる)


自身は確信にとって変わった。彼女の呼びかけはさらに熱がこもる。

「いかがでございます。センナリの有機の米の酢、どうぞ一口お試しください」

次第に足をとめる客が増えていった。

そして、彼女の信念通り、口にしたお客は、必ずといっていいほど商品を買い求めた。
彼女は絶対的な手応えを消費の最前線で感じていた。


黒酢のブームもあり、お客の反応は飛躍的に伸びていった。

呼びかけに応じて試飲すると、まず間違いなく商品購入に繋がり、そのお客たちは
リピーターとして固定客に繋がっていった。


「この間いただいた、おたくのお酢、とても良かったわ」

「ありがとうございます」

「ご近所でも評判がよくて、今日はお友達と一緒に買いにきたのよ」


一人のファンが次のファンを生み、そしてまた次のファンを生んでいた。
(嬉しい、こんなに評価されている)


お客の反応は、そのまま彼女の喜びでもあった。

こうして販売不振に喘いでいたセンナリの商品は、身内の
小さな努力によって突破口が開かれつつあった。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8027.html


  


Posted by センナリ株式会社 at 06:22Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月11日

第五章 ピンチをチャンスに その4

第五章 ピンチをチャンスに その4 




「本社社屋と新工場を良い水があり、環境も良い広島市北部(広島市安佐北区)に
移転しよう」これは、センナリらしく生きるために大きな第一歩であった。


なぜ、その場所に移りたいと思ったかーーそれは完全米酢に最も大切な
純度の高い水があったから。

米酢づくりには大量の水が必要となる。
良い水があれば、良い商品ができる。


私はまず、良い水を求めた。



また、新しい移転候補地は高速道に近く、流通面でも効率よくなる。

さまざまな面で、より優れた商品をスピーディにお届けすることが可能となる。

投下資本の大きさを除けば、申し分のない計画であった。


ある日を境に決意を固めた私は、いかに新工場を仕上げるかに考えを切り換えた。


当時の売上が3億円。
工場新築のために受けた融資が10億円。


当社にとっては膨大な借入額である。

だが、自分が裸になったこと、死んだ気持ちになったことを考えれば恐ろしくない。

それより今以上に良質のセンナリの商品を生み出し、送り出せる環境を
整えることだ。

今まで幾多の苦労を乗り越えたようにセンナリの創業精神を変えるわけにはいかない。
新工場を建設するに際して押印した契約書の数々に私の指先が震えることは
なかった。


また、この日から私は酒を断った。


あびるほど飲んでいた時期が、今ではウソのようだ。


日一日と建設譜が奏でられていく。

やや高台の敷地に真新しい社屋と工場が次第に姿を現していく。
こうして1996年本社社屋と新工場が完成した。

敷地1万3200平方メートルに、二階建て延べ2360平方メートルの建物。
二階部分に総務、営業など本社機能を集約、一階部分にオートメーションの
最新製造ラインを完備した。

美味しく健康にもいい食品を提供するには、衛生面も重要であることを
考慮したラインである。製造ラインは工程ごとに仕切り、搬入されたこだわりの
米を加工していく。


米を蒸し、麹と酵母を入れ、発酵させて酒を造る。

この後「静置発酵室」で、4ヶ月半もの熟成期間を経た後、やっと出荷体制へ。

次々と流れていく充填コンベアラインで瓶詰めされると搬送がOKとなる。

また、製品化された物は直ちに出荷されるため、社屋一階の北側部分は
搬出入が容易なように道路と直結している。

製品ラインよっては、例えば業務用ソースなどは、工場内の別途
ラインである小袋充填機などを経て搬出されていくものもあり、屋外には
貯蔵タンク十基が設置されている。


米酢の場合は、前述したように有機米「あきたこまち(JAS法認定)」100%で
造った純米酢をベースにし、とことん素材にこだわっている。


ちなみにこの米は、米作り名人、秋田の池端哲夫夫婦によって作られたものである。

業務用ソースにおいては自然の材料、トマト、玉ねぎ、リンゴなど国産契約栽培の
野菜や果物をベースにセンナリ独自の特許製法でブレンド。

センナリならではのこだわりが込められている。


当社で製造される商品はいずれも無添加。


水は山麓を流れる天然の名水。


豊かな大地の恵みをそのまま製品に反映することを心掛けている。

しかし、新工場の完成を間近に控えた日に、弟英世(副社長)が脳梗塞で
倒れたのだ。またもや過酷な運命が私を襲う。

困ったー。


工場のライン全てを管理していた弟がいなければ、折角の新工場も稼動しない。

どうすればいいのかー。

頭を抱えた私の元に、平河工場長や大地課長、吉川、小西、矢島といった社員たちが
やってきた。

「社長、一緒に頑張りましょう」

このひと言に励まされた私は、みんなと一緒に工場に入り、不眠不休で何とか
新工場のラインを稼動することができたのである。


一人では何もできない。企業は人なんだと心から実感した瞬間である。



ピンチをチャンスに変えるのも人なんだと今でも信じている。


弟英世(副社長)は4年間療養していたが、養生の甲斐あって復帰。

今も完全米酢造りに励んでいる。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8026.html


  


Posted by センナリ株式会社 at 06:28Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月10日

第五章 ピンチをチャンスに その3

第五章 ピンチをチャンスに その3 





ある時だった。
私は一人の友人に出会った。


古くからの友人で、かねてから信頼をおき、長年の付き合いをしてきた。

その友人のひと言が、私の心を揺さぶった。


「スーパーで販売することを主眼にして、安売り競争を続けなくてもいいじゃないか。
値段じゃない、本物の品質と味を求める人は絶対にいる。
そういう人にセンナリの商品を届ければいいんだよ」


私は、ハッとした。おもわず友人の顔を見返した。



「センナリの商品はどこにも負けないんだろう。だったら、価格競争なんかに
巻き込まれない、そういう売り方を考えるべきだ」    (そうか、そうなんだーー)


友人の発言は天恵とも言えるものだった。


量販店全盛時代に、他の販売方法なんて感がえもしなかったその時に
新たな生き方を教えられた気がした。

確かに、大手資本と征していく力はない。

大量生産をし、品質を下げてまで価格競争を勝ち抜く思想はわが社にはない。

センナリそのものの理念がそういうところになかったし、過去そいう生き方も
してこなかった。


それが時代の変革に自分を見失い、いつしか大量消費のマジックに
巻き込まれようとしていた。


「よし、先はどうあろうとセンナリらしく生きよう」


成功しなくてもやろうと思った。


生涯はただ一回である。

創業以来こだわってきた本物で健康に良い商品で勝負しよう。

私の思いが固まるのに、さほど時間はかからなかった。

1996(平成8)年の夏、私は大きな決断をした。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8024.html



  


Posted by センナリ株式会社 at 07:12Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月09日

第五章 ピンチをチャンスに その2

第五章 ピンチをチャンスに その2




この時、無借金経営を続けていたがゆえに、
妻も母も「そんなことは、やめて」と言う。


周辺の状況もかわってきた。

日本中が浮かれきっていたバブル経済に陰りが見え、つれて需要
も低迷の兆しを示し始めた。

少々、値が張っても飛ぶように売れた消費動向に変化が生じ
それは食品とて例外ではない。

品質の点では申し分ないと思われる当社の製品は、マス広告を背景に次々と
市場に送り出される大手資本の商品に押されっぱなしで苦戦を余儀なくされていた。

量販店を主体に製品出荷するものの、どうも実需に結びつかない。

売れるのは大量出荷された大手の廉価商品ばかりで、消費者も製品の
善し悪しに今ほどこだわりを持たない時期でもあった。

私自身の企業人としての意識は固まっていたが、思いと現実は一致しない。

仕事を継続しながらも、本音の部分では何度も会社を手放そうかとおもった。
実は、それほどセンナリは販売不振に喘いでいた。

造っても売れない、いい商品を額に汗して頑張って出荷しても消費者は見向きもしない。

悪循環の中、暗い明日ばかりが続くようであった。


センナリは創業以来、企業の理念は変わらない。

消費者を第一に考え、良質で高品質の商品を造り続ける。

この一貫した姿勢は片時も揺らいだことはないが、流通の変革に伴い、一般消費者
には理解されにくい立場に追い込まれていた。


このまま負けてしまうのか。


父至が言ったように味でセンナリは天下を目指すはずではなかったのか。

挫けそうになる私の心を叱咤しているのは、かつて何度となく見た父の後ろ姿であった。

このピンチをチャンスに転化することはできないか、私は来る日も来る日も
千切れる思いの中で漂っていた。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8023.html
  


Posted by センナリ株式会社 at 07:10Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月08日

第五章 ピンチをチャンスに その1

第五章 ピンチをチャンスに その1





私が、センナリという会社を実質的に背負うようになったのは
二十代の半ば頃からであった。


第一線をほぼ退きつつあった父至に代わり、私の役目は日を追って重くなった。

中でも販売面がそうで、外を攻める役目が私、内を守るのが弟英世(副社長)と
自ずと役割が按分されていった。

外に出掛けて色々と販売交渉を重ねる私は、社会の仕組みを少しずつ知っていく
一方、ある種の蕉燥感にも絶えず責められていた。


経営そのものを根幹から揺らがすことはないが、思うにまかせず販売が
伸びてないことが原因の最大で、その理由は前章で述べたような流通の
変革、大手資本との角遂にあることはいうまでもない。


毎日が真綿で首をジワッと絞められているような閉塞感であった。


そして、それが如実に見え始めるのはそう遠いことではない。

わが社にも幾度かのピンチらしきものはあったが、思い起こした時
最大のピンチは平成に入ってからといえる。


つい、先頃のことだ。

この時、私は本当に悩んだ。

大手メーカーとの差別化を図るため、有機の原料と天然の地下水で
無添加の健康にいい製品をつくるために新工場を建設するか

それとも事業をやめて、これまでの資産で食べていくか。
工場を建てるとなると、当然借金をすることになる。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8021.html
  


Posted by センナリ株式会社 at 06:10Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月07日

第四章 企業人として立つ その3

第四章 企業人として立つ その3




こうして、どれだけ、流通業界の人たちと親しくなったか知れない。
どれだけ同業界の人たちの考えをく吸収してきたか知れない。

センナリの商品を扱ってもらい、店頭を通じて消費者の家庭に入っていく。
まさに、量販店は諸々の商品を店頭代行する市場の役目であった。


しかし、この世の中の変還を受け止めたものの、私の心の中には次第に
蟠りが生じるようにもなっていた。

消費者のことを考えているように見えて、実は消費者不在のまま、販売が
進められているような違和感である。


私は、この疑問を何度か口にしたことがあるが、その都度一笑に付された。
時代錯誤も甚だしいという嘲笑であったかも知れない。

中でも決定的に私の心を悩ませたものは、流通業界独特の因習であった。

自社の商品を置くには、リベートを要求される。

これは各社まちまちで、納入業者からの提示が前提となる。

利率をたくさん提示した業者の扱い量が増えるのは当然のことで
そうなると大手資本の独壇場となる。


センナリのように、原料にこだわり、体にいいものしか作らないと
真摯に頑張ってきたところは圧倒的に不利である。

量販店側が暗示してくる多額なリベート額に応じる力はセンナリにはない。

かといってそのまま見過ごせば、当社の商品の扱いは粗末となる。

店頭の目立たぬ場所、扱い量僅か、こんな調子では消費者の心を掴むことが
難しくなってくる。商品の善し悪し、消費者に喜ばれる物、そんな肝心要の判断は
別にしての商品陳列となってしまう。


さらに、それだけだはない。


彼らにとって納入業者は何社でも存在している。
言うならセンナリもそれらの中の一社にすぎない。

気に入らなければ、他社の別の商品を仕入れればことはすむ。
あえて、自分の意向に従わない先から商品を仕入れる必要はない。


いきおい、商品の善し悪しを抜きにして、納入業者、仕入れる側の持ちつ持たれつの
悪い慣行がはびこっていくようになった。


つまり、接待である。



量販店側の仕入れ(バイヤー)に気に入られる接待をすれば、扱いは増え
怠ると疎んじられるようになる。

そのため、納入業者としては、商品の品質向上に心を砕くよりも、少しでも多く
仕入れてもらう接待に気持ちをいれるようになった。

まさに本末転倒、消費者不在の場面が消費の最前線で毎日行われていた。

私は、こういった現状をつぶさに見るにつけ、顔や言葉には出さなかったが
嫌気を覚えていた。

生産者、消費者、それを繋ぐ流通業者の正しい姿であるわけがない。

三者二様に本来やるべきことがあるはずで、それを忘れて商売を成立させていると
いずれ手痛いしっぺ返しを受ける。

品質と本物づくりの追求こそが、生産者側の役目なのに・・・私の心は揺れ動いていた。


考え抜いた揚げ句、やはり理念を貫こうと決心する。


センナリはこれまでずっと、喜ばれる良い物を、真心と誠意を持って提供してきた。

創業した父の至、側で助けてきた母ミチヨがそうであったように
センナリはそうして生きてきたのだ。

時代の変革があろうと、センナリとしての商売の原理原則、根源を
崩してはならない。


ここに思いが至るとフッと気持ちが楽になった。


高い品質を維持するために原材料の厳選、加えて高品質の製造維持。

この当社の生き方を指示してくれる消費者も必ずいるはずだ。

そういった消費者の要望に応じたメーカーであり続けよう。


量販店主体への出荷体制を大きく変化させることは出来なかったが
私が社会人から、会社を牽引してゆく企業人としての意識を認識しだしたのは
この頃、今から10年前であったと思う。



続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8020.html

  


Posted by センナリ株式会社 at 07:02Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月05日

第四章 企業人として立つ その2

第四章 企業人として立つ その2





米酢などを購入してくれる得意先は、食堂、割烹、お好み焼店のような
個々の店が圧倒的であったが、段々とマス化が進みつつあった。

端的な例が量販店の出現である。

日常生活に関わる必需品の大半を品揃えした量販店は、消費の便宜を
飛躍的に促進させ、需要者は雪崩をうつようにそれに傾斜していった。


私たち調味食品メーカーも、従来の個々の店から大量流通、大量消費を
掲げる量販店へ、その得意先を急速にシフト替え始めた。


当然、センナリもこの潮流には逆らえない。



得意先の主体を量販店とし、販売促進、販売依頼の方向を転じた。

量販店に出入りするようになると、実に多くのことに気づかされた。

彼ら、流通業者の大半は、いかに、遅滞なく商品の絶対量を確保し、店頭に
並べた商品を回転させるかに腐心していた。

個人個人の顔を見ながら商売をしていくという従来の考えにさほど重きを
置かなかったのである。


一方、消費者は生産者の考え、心意気を受け止めながら購入していくのではなく
商品の善し悪し、加えて価格が購入の最大決定要因とした。
いわば、創業以来、個々の得意先を回り、時候の挨拶をあいたり、時に冗談や
雑談をしながら商売をしてきたセンナリのような昔気質の手法はどこにも存在していなかった。


そうか、これからはこういう販売方法になっていくのだ。量販店の台頭を目の当りにし
私は考えを改めねばならなかったし、年を追うごとに隆盛を見せる業界の発展ぶりには
何をさておいても受け入れるしかなかった。




続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8018.html
  


Posted by センナリ株式会社 at 19:30Comments(0)『米の酢』物語