blogトップ 蔵 ホムペ 広島の大地より お酢やの便り:2007年11月
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センナリ株式会社
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2007年11月03日

第四章 企業人として立つ その1

第四章 企業人として立つ その1




ラグビー一色の青春から、家業に邁進することを余儀なくされた私の
心は燻り続けていた。
いくら家業とはいえ、本当はもっとやりたいこと、進みたい道があった。
過去には戻れぬが、半ば諦めの気持ちで人生の選択をした私にとって
社会人、企業人としての心構えはなかなか確立することが難しかった。

しかし、この割り切れぬ思いを断ち切ってくれたのが、妻静子との結婚
だった。妻静子とは、私が19歳の時に結婚した。静子も同じ歳。まだ
まだ二人とも世間を知らぬ年である。

仕事上の得意先から話が持ち込まれ、見合いを経た後、婚姻。
1955(昭和30年)5月、高校を卒業して翌年の夏には結婚と
事はスピーディに進んだ。おのろけを記すようだが、私は妻となる静子
に出会って即座に気に入った。若く、つつましく、私のような男性の
ところに嫁に来るのはもったいないと思った。しかも、19歳という
若さ。

これからいくらでも良き出会いがあるだろうーーということは私として
は、この機会を逃してはならないわけだ。
紹介された得意先の方に早々に自分の気持ちを告げると、いち早く話し
を進めてもらった。

今思えば、本当によく来てくれたと感謝している。

妻をもらったことで私の考えは否応でも変化を来した。年は若いが
これで一家の主である。

仕事を第一義に考え、何があってもまず家庭を守ることが最大の責務で
ある。これまでは家業の手伝い、進学が出来なかった?怩たる思いの狭間
で揺れ動いていたが、これからはそんな悠長なことは言ってはおれない。

自分には、やるべき義務が婚姻を機に発生し、また、それを良しとして
背負いこんだのだ。




仕事を終えて家に戻る。当然のこと妻がいる。私には新しい家庭ができ
、妻は自分のことを信頼してくれている。まずは彼女を安心させ、将来
に繋げていく自分でなければならない。

私は、こうして企業人である前に社会人としての意識から出発すること
となった。気持ちを変えると不思議なものである。今までとは違った
発見が随所で出来るようになっていった。

家業のため、家族のためと、時にはいやいや頭を下げていた得意先にも
自然体で下げれるようになっていく。

この大地の家で造った米酢を購入してもらうことで、大地の家族
ひいては私の家族の生計が成り立っていく、そう思うと感謝の念ばかり
が沸き起こり、かつての不平不満は見事なほどに雲散霧消していった。
妻・静子の献身的な手伝いも家への頑張りを後押ししてくれた。

おまけにセンナリの米酢の評判は相変わらず上々である。

昭和20年代半ば、広島名物として一銭洋食向けに開発した「お好み
ソース」も素材と製法へのこだわりからお客様に喜ばれセンナリを指名
される方が随分多くなった。当然のこと、仕事には気持ちが入り、誇り
も次第に培われるようになっていった。

だが、順風満帆とばかりはいかない。良いことがあれば、その裏で悪い
ことも影を潜めているのがこの世の習いである。その最大が流通革命の
波。
世の中の流通の仕組みが徐々に変化を来しつつあった。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e8017.html

  


Posted by センナリ株式会社 at 07:31Comments(0)『米の酢』物語

2007年11月02日

第三章 ラグビーが教えてくれたこと その2

第3章 ラグビーが教えてくれたこと その2




ところが、私の強い思いを家庭の実情がゆるさなかった。

ちょうどその頃、幹部が会社をやめ、経営に苦慮した。

父は私に「大学に行かず、家業を継いでくれ」と頼んだ。

ラグビーを続けたい、しかし父を助けられるのは私しかいない・・・
悩んだ揚げ句、家業を選んだ。


当時の無念さを簡単には片づけられない。
断腸の思いで進学を諦めた私の気持ちは、今の恵まれた子どもたちにも
理解しがたいことかも知れない。

しかし、その後もずっとラグビーと私の縁は切れていない。

折に触れて後進の指導に携わってきたし、私自身、機会を見つけては
グランドに立ってもきた。

広島大学の医学部、教育学部の学生、さらには東洋工業(現マツダ)や
淀川製鋼まで、多くの後進たちにラグビーを教えてきた。

若い頃のような勢いはないが、彼らと付き合っていると、気持ちだけ
は当時とちっとも変わらない。

ジャージにストッキングにスパイク、ユニホームを身に纏うと体がしゃんとし
血がたぎってくる。年代的にも年寄りの冷水と言われそうだが、これからも
ずっとラグビーとは関わって生きていきたい。

話しは逸れるが、見ての通り、私は現在もがっちりとした体格である。

実は、ラグビーで作ったこの体を活かして柔道にも少し触れたことがある。
教わった先は、オリンピックの金メダリストの川口選手を排出した有名な
川口道場(広島市安佐南区)。

通った期間は僅かだったが、2段をいただいた。

これもラグビーの恩恵であろうか。この先、どれだけラグビーを続けていけるか
分らない。体の続く限り、グランドに立てる限り、誰かがオフサイドのホイッスルを
鳴らさない限り続けていくつもりである。

ラグビーは私の青春そのものである。ジャージを着た瞬間、私の心は十代の高校時代に
舞い戻るのだ。





続きは⇒http://oochikura.e-know.jp/e7669.html

  


Posted by センナリ株式会社 at 17:28Comments(0)『米の酢』物語